茶杓 銘 悠久 "YuuKyuu"

L18 cm  
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1987年作 小菅小竹堂

孫、悠久(はるひさ)誕生を記念して の個展のために制作 

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これは、ちょっと茶杓には失礼な撮り方かも知れませんが、すべて父の作品です。

 たかが、耳かきの親分と言われる方もいらっしゃるでしょうが、茶杓について調べてみるのもなかなか勉強になり、少しまとめてみました。 ただし、お茶の用語、解釈の間違いはお許しください。

  父がこれまでに茶杓を作った本数は多分、数十本と思いますが( 多くて50本程度で、100本は無いと思います )、煤竹を 水に漬けたり煮沸しないで、乾燥したそのままで使い、櫂先(かいさき )を円弧状に曲げた丸撓め(まるため)しています。 直線部分から櫂先へ破綻無く、滑らか につながり綺麗な曲線を描いており、中節を境にしての節上と節下の微妙な折れ曲がり方も合わせた全体のバランスに作者の狙いを感じます。

 右上の写真を拡大して見ていただきたいのですが、表皮の部分が凸状のものは竹の全周から得られますが、凹状の部分は竹の周囲一カ所しか取り出せないので貴重です。 凹状の部分は樋(ひ) と言い、竹の節から枝が出たために出来た窪みのことで、竹の穂先を櫂先にしたものを逆樋(さかひ)、その逆のものを順樋(じゅんひ)の茶杓と呼びます。  曲げる方向から考えると、樋がある方が曲げやすいと思います。 
 父の茶杓は、全て逆樋 の 直腰(すぐごし)で、樋の部分以外も使っています。  逆樋のものしか作っていない理由は、父によるとこれが正式の形、自然の理にかなったものであると解釈しているようです。
 また、上の一連の茶杓は煤竹の模様にも特徴があり、右上の写真の左から二番目の様に左右で模様の変わるのも貴重です。

  茶杓に関する資料などに載っている写真は殆ど表側からの写真が多く、よく判別できないのですが撓め(たわめ)の部分は曲げやすくするために竹の裏側を削って薄くしているものが多いように見えます。 父の茶杓は竹の本来の厚みそのままを生かし裏皮を削っていません。 勿論、これは7歳の頃より竹に親しんでいる父でこそできる技 と思います。

 何か普通の茶杓と違うものを感じるのは、この櫂先部分 の厚みの違いによるものかも知れません。 もっとも利休の茶杓には、十カ所あまりのくせがあったそうですが...。


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櫂先部分
切止部分

 勿論、角や表面の仕上げにはヤスリやサンド・ペーパーなどは使わずに、小刀で削った後は、布で磨くだけで仕上げ、鋸目の場合と同じようにわざと削り跡を残しています。  言ってみれば、利休の時代と同じ作り方とも言えるでしょう。 自然の中での野点のつもりで、その場の手元にある道具( 武将であれば脇差し )と材料だけで作る気持ちで...( 脚注 )。

 言うまでもなく、下削りから仕上げまで、さらに共筒(ともづつ)の制作まで全て本人の手によるものです。

 父の茶杓の特徴をまとめると、以下の通りです。

1. 煤竹の文様を崩さないように、煤竹を水に漬けたり煮沸したりしないで、そのまま乾燥した状態で制作に移る。

2. 撓めの曲げる部分の裏皮を削らない。

3. 水などに漬けないで、ローソクの火にあぶるだけで曲げる。

4. 小刀だけで削り、ヤスリ、サンドペーパーなどを使わないで、布で磨くだけで面取りをし、削り跡を残すのを粋とする。

5. 仕上げとして、自然の色つやを保つ程度、目立たない程度に漆で軽く拭く。

5. 重心を中節に置く。

 つまり、人工的なもの、機械的なものをいっさい拒絶し、昔のままの自然の中で、あるがままに作ることを模しています。  漆以外は特別な道具や材料を使っている訳でもなく、茶杓作りが本業でもありませんので、あまり時間をかけずさらりと、で も作っている間は精神を集中して...。 本当に、拭漆(ふきうるし)を除けば、手元にある材料でこしらえて、その場でお点前に使う感じです。

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 たとえ茶杓一本でも、手に持ったときの美しさ、形、節上と節下の比率、重さのバランスまで繊細な心配りをして制作しています。 節の部分( 中節 )がちょうど重心位置になるようにしています。  茶杓にはいろいろな形式があるようですが、父は機能美を第一に考えて、すべてこの形の茶杓に統一しています。 形式としては、草形(そうなり)と呼ぶのでしょうか?


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 「悠久」に使われている共筒の栓蓋に位置合わせの〆印が入っていない理由は、上の写真に示すようにわざといびつな形の竹を用いて、蓋をその形状に合わせているためです。  しかも、栓蓋は手で触れて抜こうとすると軽く「ポン」と言う音が出て抜ける程度の隙間嵌めになっています。  なお、筒には「真」「行」「草」の三つがありますが、父は総皮けずりの「真」の共筒が多く、「草」はあまりありません。
 


 この様に、「悠久」は茶杓、共筒、共箱の3点セットで意味があるのですが、実は、1988年の個展で展示した茶杓は、会場でこれを手にしたお客様がどうしても譲って欲しいと言われ、 銘の由来も含めて売り物では無いのでとお断りしたのですが、とうとう根負けしてお譲りしました。 したがって、本物の茶杓「悠久」は手元にはなく、 その時の共筒、桐箱と銘を代わりの茶杓にあてがって私の手元に家宝の一つとして残しています。

 残念ながら、本物の「悠久」の方が、櫂先部分の厚みが十分にあり( 幅の半分近くの厚みがあった様に記憶しています )、美的には櫂先の幅と厚みのバランスのとれた素晴らしい茶杓でした。
  肉厚の素材がなかなか手に入らなく、作った数は限られており、茶の作法からは外れているかも知れませんが、私はこの少し外したところが気に入っています。 もっとも原理的に こんな厚みの煤竹を曲げることは不可能ですので、ちょっとした工夫をして外観からはわからないようにしてあります。 どうやって曲げたかは、知っていますが秘密のままにしておきますが、かなり工学的な工夫です。 素材の厚みにもよりますが 上の写真に示す程度は普通の方法で曲げています。

 父も一応、茶( 裏千家、たしか昔、お家元が佐渡へいらした時に、恐れ多くも御前で お点前をさせていただいた様です )の心得がありますので、茶杓は売り物としてではなく、自分の嗜みとして制作して、作品をお買いあげになったお客様への御礼として作品と一緒に差し上げることが多かったようです。  勿論、自分で使うために作ったのが最初ですが。

 ところが、茶杓だけでもと言うお客様が増えてきたので困っておりましたが、その場合もお代(卸値)は、あくまでも大工さんの工賃での計算をさせて貰っています。 これが、父の作品の基本的な値付けの仕方です。
 もっとも、茶杓の場合は、桐箱のお値段の方が高いかもしれません。

 父は生まれは佐渡ですが、東京育ちのために江戸っ子の気質があり、作品の価値がおわかりの方にはただ同然で差し上げることが多く、「汐衣」に至っては私に言わせれば一桁も二桁も違うお値段で米国のコレクターにお譲りしました。 勿論、この方もこの作品の価値を十分にご承知の上で 、飛行機の中でも膝に抱えて持ち帰って大切にするとの殺し文句、熱意に応えてのことです。 後で知ることになるのですが、まさに、Noblesse oblige の言葉を思い起こさせられる方でした。

 桐箱は、鎌倉に住んでいた素晴らしい腕の職人さんにお願いすることが多かったのですが、その職人さんは魯山人お抱えの仕事をしていた老人で、私も何度かお邪魔しましたが、掘っ立て小屋の様なところに住む凄い職人さんでした。

 

 茶杓の話題の最後に、
父はカソリックの洗礼を受けております。 ミサの聖体拝領の際に司祭がキリストの血として葡萄酒をいただくのですが、グラスを扱う仕草がお茶の袱紗さばきに非常に似ており、お茶はカソリックの影響をどうも受けていると言っていました。  既に知られていることかわからなかったのですが、どうやら参考資料の「茶杓百選」にも同じようなことが記されていました。
 


参考資料:

1. 「日本の美術 茶道具」、藤岡了一編、至文堂、昭和43年
2. 「茶道具手作り入門」、淡交社、昭和57年 
3. 「茶杓百選」、西山松之助、淡交社、1991年 
4. 「茶杓をつくる」、西山松之助、読売新聞社、1992年 
5. 茶杓を作る
6. 酔夢亭茶杓の作り方

脚注

 例え話として述べたつもりでしたが、上記の「茶杓百選」によると、古田織部の弟子上田宗箇は秀吉・光秀の山崎の合戦で藪の中に隠れていた時に、その藪の中の竹で茶杓「敵がくれ」を作ったとのことです。

の項「竹の曲げ方」もご参照ください。

館長 Postmaster@i-OfficeK.com